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中国で性奴隷にされる北朝鮮の女性達

作成日: 2016年8月27日 ... 最終更新日: 2017年1月28日

中国で性奴隷にされる脱北女性

Newsweek 日本語版  2016年8月26日 15:30

パク・ジヒョン(人権活動家、人身売買被害者)

<北朝鮮の弾圧と飢餓を逃れて国境を越えた女性たちは、
中国で人身売買の餌食となりさらに過酷な虐待の犠牲となる>(写真は中朝国境の豆満江)


中国政府の自国民に対する人権弾圧はよく知られている。だが北朝鮮の抑圧や飢餓から逃れてきた女性たちが中国で人間以下の扱いを受けていることはあまり知られていない。私は真実を知っている。私も被害者の1人だったからだ。

北朝鮮で大飢饉が起きた90年代以降、中国では脱北者、特に脱北女性を餌食にする人身売買が一大ビジネスになった。中国で働けば、子供にひもじい思いをさせずに済む――そんな甘言に乗せられ、若い母親はブローカーの手引きで国境を越える。だが待ち受けているのはそれまで以上に惨めな生活だ。

【参考記事】脱北少女は中国で「奴隷」となり、やがて韓国で「人権問題の顔」となった

中国では脱北女性の需要は高い。工業化が急速に進んだため、農村部の若い女性は都市部や外国に流出し、残された男たちは嫁不足に悩んでいるからだ。彼らはブローカーに多額の報酬を払って妻を買う。

脱北女性はノーと言えない。断れば、当局に垂れ込むとブローカーに脅されるからだ。強制送還されれば、北朝鮮に残った家族まで逮捕されかねない。女性たちは泣く泣く見ず知らずの男の妻になる。

私が脱北を決意したのは98年。軍隊にいた弟が基地から逃亡した。弟が帰ってきたら逮捕しようと軍警察が家に張り込んでいた。病気で衰弱した父は私を呼んで耳打ちした。「弟を見つけて一緒に逃げろ」

寝たきりでただ死を待つ父を残し、私は家を出た。父がどこに埋葬されたか今も知らない。

弟と合流した私は、中国との国境を流れる豆満江を渡った。ブローカーは弟を助けるにはカネが要ると言い、私は中国人男性に5000元(約8万円)で売られることになった。その後弟とは一度も会っていない。

他の脱北妻と同様、私の結婚生活も惨めなものだった。脱北妻は奴隷のように働かされ、性欲のはけ口にされる。けがをした妻や夫に飽きられた妻は別の男に「転売」されることもある。

当局の目を恐れる脱北妻は、どんなにひどい目に遭っても助けを求められない。売春を強要されるリスクは常に付いて回る。妊娠すれば中絶しろと言われ、私のように中絶を拒否した場合、地元の病院での出産は望めない。生まれた子供は無国籍者となり、教育も医療も受けられない。

■野放しの闇ビジネス

私のいた村には脱北妻が5人いたが、道で擦れ違っても声を掛け合うことはなかった。近所の人たちの目が怖いからだ。「所有者」の男たちは、私たちが共謀して逃げるのを警戒していた。逃亡を防ぐために、私たちには冬でもまともな靴は与えられなかった。

私は中国人男性の奴隷として6年間過ごした後、04年に中国当局に見つかり、他の数人の脱北女性と共に国境地帯の図們の収容所に送られた。最初の1週間は毎日5~7人の男の看守が部屋に入ってきて、私たちを全裸にさせ、肛門や膣に現金を隠していないか調べた。生理中の女性を調べるときには、看守の脚に血が流れたが、彼らはお構いなしだった。看守はトイレにまで付いてきた。

【参考記事】連座制で強制収容所送り、北朝鮮「収容所人名辞典」が暴く地獄

北朝鮮に送還され、半年ほど収監されて強制労働に駆り出された。脚に壊疽(えそ)が起き、死期が近いと診断されて、収容所から放り出された。家もなければ、頼れる身内もいない。私は路上で物乞いをした。あるとき通り掛かりの医師が哀れに思ってこっそり脚を治療してくれた。

私の物語はそれで終わりではない。息子を捜すために別のブローカーの手引きで再び中国に向かった。07年に北京で出会った韓国系アメリカ人の牧師の助けで、私たち親子はイギリスに渡って難民認定を受けた。私は生まれて初めて自由を知った。

人身売買は国際法で禁止されており、中国でも違法だ。だが、闇のビジネスは野放し状態だ。

祖国の悲惨な生活から逃れようとして人身売買の餌食になり、性奴隷にされる女性たち。世界がその実態に目を向けなければ、彼女たちは抵抗するすべもなく、希望を奪われたままだ。

©Project Syndicate

[2016年8月30日号掲載]

朝鮮人にとって、中国人の奴隷にされるのは、半万年続く由緒ある文化なので、朝鮮人が国として中国を批判する事はない。

その証拠に、韓国政府は、一切、中国を批判しない。

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